初期
湘南和尚 (しょうなんおしょう 不詳~1637)
山内一豊夫妻は天正13年(1585)年の大地震で一人娘の与祢(よね)を失い、その後男子を養子に迎え、拾(ひろい)と名付け養育した。 これが後の湘南和尚である。湘南は武士にはならず禅門に入り、土佐へは慶長6(1601)年入国し、吸江庵(ぎゅ
中期 法雲院 (ほううんいん 不詳~1678)
寛文8(1668)年2月、右大臣三条公富の娘法雲院は山内豊昌(とよまさ)(4代藩主)の継室として江戸へ輿入れした。 幕府は大名と公家(朝廷)との接近を嫌い、大名が京都に入る事を制限したが、上流公家である三条氏と縁戚関係が成立してか
後期 宮地太仲 (みやじたいちゅう 1769~1842)
安芸郡田野の芝生まれ。 父の文仲を継いで医を志し、大坂にでて医学を岡慈庵に、経書を篠崎小竹(儒学者、漢詩人)に学び、帰国後は藩の診療を度々勤めて徒士格二人扶持を受ける。 また、天保11(1840)年には土佐における最初の
幕末維新期 諒鏡院 (りょうきょういん 1841~1916)
土佐12代藩主山内豊資(とよすけ)の娘。 名を悦姫といい、生後まもなく出羽秋田藩10代藩主佐竹義厚(よしひろ)の嗣子義睦(よしちか)と婚約し、安政4(1857)年4月義睦のもとへ輿入れしたが、結婚後数ヶ月で夫義睦が死
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令和3年3月7日に開館4周年企画の一つとして行った「学芸員ミニレクチャー」を収録した動画です。
令和2年度に行われた調査研究の成果から、担当学芸員が特に面白いと思った資料やオススメしたい展示についてお話ししています。ぜひご覧ください。
※内容に関連する展示はすでに終了したものが含まれます。