特集展 近代日本の出発 ~高知藩の時代~
2018/09/22 - 2018/11/18
高知藩は、廃藩置県(はいはんちけん)により高知県となるため、わずか2年という短い期間しか存在しませんでした。しかし、高知藩は、全国に先駆けてさまざまな先進的な政策を行ったといわれています。
果たしてどのような政策を行ったのか?
展示では、高知藩の政策が進められていく過程を関連資料から紹介しています。
開催期間 | 2018/09/22 - 2018/11/18 |
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休館日 | なし |
観覧料 | ■企画展開催期間中(9/22~11/18) 700円(団体20名以上560円) ■高知城とのセット券 当館企画展開催期間中(9/22~11/18)890円 ※高校生以下は無料 ※高知県・高知市長寿手帳をお持ちの方は無料 ※身体障害者手帳、精神障害保健福祉手帳、療育手帳、戦傷病者手帳、被爆者健康手帳所持者と介護者1名は無料 ●観覧券は当日のみ有効です。(年間観覧券は除く) |
備考 | 9月21日(金)~24日(月・祝)「高知城秋のお城まつり」開催中は21:00まで開館延長します。 (お城まつり中止の場合は 通常通りの開館時間となります) 【夜間スペシャル企画も多数開催!!】 |
展示の見どころ
土佐藩でもなく、高知県でもない、高知藩の時代
高知藩は、版籍奉還から廃藩置県まで、わずか2年という短い期間に存在しました。
全国に先駆けてさまざまな先進的な政策を行った高知藩、その政策形成過程に迫ります。
展示の見所
高知藩の政策が先進的だった!?
明治3年(1870)11月に高知藩は、「人民平均の理」という士族に限らず農工商、四民の身分制を撤廃する政策を行ってよいかと、明治政府に伺っています。
政府は、急進的過ぎる内容であったため、実験的に高知藩のみでの政策を許可します。同年12月より、「人民平均の理」をもとにした、身分制の撤廃、士族の切捨御免の禁止、平民乗馬の許可などが打ち出されました。
先進的な政策を行った高知藩ですが、佐々木高行は、高知藩改革が先進的なものだとして賞されていることはもちろんだけれども、その改革要因は「笑うべきもの」と評しています。
佐々木がなぜ「笑うべきもの」と評したのかは、本展示をご覧ください。
高知藩が北海道(蝦夷地(えぞち))の一部を支配していた
明治2年8月に明治政府は、北海道の領地を各藩や士族、寺院などに与えて、開拓を行わせます。
高知藩は、夕張郡・勇払郡・千歳郡の三郡の支配を命じられました。
本展示では、高知藩が行った北海道開拓を関連資料から紹介しています。
谷干城の財政改革
明治3年に高知藩は、高知派(谷干城・片岡健吉)と東京派(板垣退助・後藤象二郎)が対立しています。これは、湯水の如く藩費を消費する東京派に対して、高知派が財政改革を訴えたというものです。
東京派は、西洋的な病院などを建設するために藩札を増刷して近代化を進めようとしました。これに対して高知派は、藩札の増刷によって物価が騰貴し、高知の民衆が困っているとして政費節減を訴えました。
谷は、国許(高知)は東京や京都の役人に仕送りをするためにあるのではないと、財政改革を板垣・後藤に談判し、許可を得ます。同年8月には、財政改革18箇条を藩に提出し、改革を進めます。
しかし、その改革は東京派の怒りに触れて、谷は藩政から追い出されてしまいます。
本展示では、この対立の過程や谷干城が行った財政改革、またその後を紹介しています。
主な展示資料
山内豊範大礼服
宮中儀式などの場で着る最上級の正装。
山内豊範肖像 画 黒田清輝
大礼服を着た姿の山内豊範を描いた肖像画。
高知藩知事印
「高知知事」と彫られた印持ち手には、麒麟(中国神話に現れる伝説の霊獣)が鋳造されている。
高知藩役務日誌
明治2年と明治3年の高知藩の政務が綴られた簿冊。
戊辰戦争の行賞や藩政改革などにより、職制がめまぐるしく変化する
状況がうかがえる