収蔵資料紹介

収蔵資料紹介

土佐藩主山内家に伝来した歴史資料・美術工芸品
約6万7千点を中心に、寄贈・寄託を受けた土佐の歴史資料を収蔵しています。

主な収蔵資料

主な資料を分野ごとにご紹介します。

*これらの作品は、常時展示されてはおりません。展示予定については、
年間スケジュール、各企画展の情報をご覧いただくか、お問い合わせください。

  • 古文書
  • 典籍
  • 写真
  • 美術工芸品
  • 寄贈・寄託

古文書

  • 長宗我部地検帳

    桃山時代(16世紀) 重要文化財

    土佐一国の総検地帳。土佐七郡全域にわたる368冊が現存する。天正15年(1587)から12年の歳月をかけて長宗我部元親・盛親父子が実施した検地の成果で、近代まで土佐一国の基本台帳として大きな意義を持った。

  • 山内一豊書状

    慶長5年(1600)

    山内一豊(土佐藩主初代)が当時の居城、遠州掛川(静岡県掛川市)の留守を預かる重臣に宛てた書状。慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いの功績により徳川家康から土佐一国を与えられ、入国の準備を進めていた時期のもの。この書状の後、弟の康豊を浦戸城受取の使者として土佐に派遣、一豊自身の入城は翌年正月に実現した。

  • 徳川秀忠判物(官途賜姓)

    慶長15年(1610)3月

    2代藩主山内忠義が、2代将軍徳川秀忠より土佐守に任官、「松平」の称号を名乗ることを許された時の文書。江戸時代初期、徳川家は有力外様大名との結束を固くするため、将軍家との縁組のほか将軍偏諱や松平姓の称号授与を積極的に行った。以後土佐藩主は代々松平姓を用いた。

  • 一国一城令

    慶長20年(1615)

    領内にある城のうち、藩主居城以外の城をすべて破却するよう将軍の上意を伝える文書。これにより中世以来各地に築かれた城は廃され、居城の改修なども幕府への届出が義務付けられた。

  • 久坂玄瑞書状 武市瑞山宛

    文久元年(1861)正月21日

    長州藩士で尊王攘夷派の中心人物である久坂玄瑞が、剣術修行の名目で萩を訪れた坂本龍馬に託し、土佐藩士武市瑞山(半平太)へ送った書状。「諸侯恃(たの)むに足らず、公卿恃むに足らず、草莽志士糾合義挙の外にはとても策これ無し」と決起を促す。瑞山はこれをうけ8月に土佐勤王党を結成した。

  • 高知藩知事辞令

    明治2年(1869)6月

    明治新政府が16代藩主山内豊範を高知藩知事に任命した辞令書。明治2年、豊範は薩摩・長州・肥前各藩主と共に版籍奉還を建白、これが容れられ知藩事に任命された。同4年の廃藩置県により高知県が置かれるまでの短期間ではあるが、先進的な改革に取り組んだ。

典籍

  • 近思録師説

    天保13年(1842)写

    「近思録」は、南宋の儒学者朱熹・呂祖謙が、北宋の儒学者4名の語録・著作を抜粋・編成したもので、朱子学の入門書として広く読まれた。本書は12代土佐藩主山内豊凞(とよてる)による写し。土佐藩士で藩主の侍講も務めた宮地介行(1674-1753)の解説が朱で書き込まれている。

  • 秦山書目

    成立年不詳

    谷秦山・垣守・真潮の3代にわたって収集された書籍の目録。寛文3年(1663)、土佐藩郷士の家に生まれた秦山は、山崎闇斎・浅見絅斎に朱子学・神道を、渋川春海から天文暦学・神道を学んだ。子の垣守、孫真潮が受け継ぎ、展開した学問は「谷門の学」と呼ばれる。当館には谷家の蔵書がまとまって伝わる。

  • 天柱密談

    元禄7-12年(1694-99)

    谷秦山が師渋川春海に送った神道や天文暦学に関する質疑と春海の応答の書状を集めたもの。元禄7年(1694)からの5年間で春海の返書は60通近くにのぼる。

  • 神代巻塩土伝 谷秦山著

    正徳4年(1714)

    谷秦山の主著の一つで「日本書紀」神代巻の注釈書。「日本書紀」は奈良時代に日本で初めて編纂された編年体の歴史書で、巻一・二に神代(神の治めた時代)を記述している。

  • 土佐国蠧簡集拾遺 谷垣守編

    延享4年(1747)頃成立

    谷秦山の門弟・奥宮正明が編んだ仁平元年(1151)から慶長8年(1603)に至る土佐関係史料集「土佐国蠧簡集」の補遺。秦山の子垣守(1698-1752)の編著で、承和元年(834)から元和4年(1618)までの諸史料を収める。幼少から父の教授を受けた垣守は、父没後は玉木正英に神道を、賀茂真淵に国学を学んだ。

  • 万葉集古義稿本 鹿持雅澄著

    江戸時代後期(19世紀) 高知市指定有形文化財

    土佐藩士・国学者鹿持雅澄(1791-1858)の大著「万葉集古義」の自筆稿本。本文の注釈を主体に、枕詞から地理に至るあらゆる分野の研究を網羅しており、近世の万葉研究の集大成とされる。雅澄の師・土佐藩教授役宮地仲枝は本居宣長の門人宮地春樹の二男で、賀茂真淵門下の谷真潮に師事しており、雅澄は宣長・真淵双方の学統を享受した。

写真

  • 開業式 鶏卵紙印画

    明治時代(19世紀)

    壁に「開業式」の札がかかり、カメラ・焼き付け道具・首おさえその他、撮影用具の数々が写っていることから、写真業の開業記念写真と思われるが、詳細は不明。カメラ左脇の人物以外は、山内家の使用人であることが判明している。

  • 修整台

    明治時代(19世紀)

    種板を墨などで修正する際の道具。上下の横木にガラス板を挟んで固定する。このような撮影用品や写真の背景に使われた屏風が伝来すること、使用人を写した写真が数多く存在することから、山内邸内で撮影が盛んに行われていたと推測されている。

  • 肖像 山内邦子 鶏卵紙印画 清水東谷撮影

    明治時代(19世紀)

    支藩の高知新田藩5代山内豊福の娘邦子の肖像写真。明治初期を代表する写真師の一人清水東谷の写真館で撮影された。通常、種板(ガラス板ネガ)は写真師が保存するが、当館には種板と紙焼きが共に伝わっている。

  • 鎧武者 ゼラチン乾板

    明治時代(19-20世紀)

    向かって左の人物の具足は、12代土佐藩主山内豊資所用と伝えられるもので、現存している。当館にはこのようなゼラチン乾板のほかコロジオン湿板、アンブロタイプなどのガラス板写真があわせて369枚伝来している。

  • 蒔絵アルバム

    明治時代(19-20世紀)

    蒔絵表紙のアルバムは、明治時代に外国人観光客向けに制作されたとされるが、このアルバムには、葉書サイズの日本人肖像写真29枚が収められている。うち数点に、明治30年代の年紀、17代山内豊景(侯爵)の夫人禎子への献辞がある。

  • 絵葉書 土佐室戸町浮津海岸鯨(背美)解剖ノ光景
    其二

    大正-昭和時代(20世紀)

    当館では、(19-20世紀)上のような高知の観光絵葉書を始め、明治後期から昭和初期にかけて発行された観光絵葉書、戦争や災害を報じた時事絵葉書、博覧会絵葉書、客船絵葉書など6701枚を所蔵している。男爵山内豊静(1883-1937)ほか旧土佐藩主山内家の人々が収集したものとみられる。

美術工芸品

  • 鳥毛横筋雲文様陣羽織

    江戸時代(17-19世紀)

    10代土佐藩主山内豊策のものと伝わる陣羽織。白繻子の表地に、白の鳥毛を縫い止めて地を作り、黒の鳥毛を縫い止めて飛雲と横筋を表す。この他、具足下着など含め、山内家に伝わる戦装束は100点を超える。

  • 韋包段替素懸威二枚胴具足

    江戸時代(17-19世紀)

    兜は、板屋貝を模した変わり兜。胴は白韋で包み、銀の二十夜月を置き、上部を白糸で、下部を紫糸で威した華やかな仕立て。手を加えながら4・9・10・11代藩主の着領として受け継がれてきた。

  • 太刀 銘 備前国長船兼光 文和二二年乙未十二月(号
    一国兼光)

    文和4年(1355) 重要文化財

    2代土佐藩主山内忠義が、紀州初代藩主徳川頼宣からこの刀の譲渡を打診されたが断り、重ねて「将軍様がご所望ならば?」と仲介者の藤堂高虎に問われて「土佐一国に替えても手放さない」と言ったことから、「一国兼光」の呼称がついたという伝承で知られる。ただし、幕府・山内家双方の記録には、寛永13年(1636)、3代将軍家光が忠義へ下賜した、とある。

  • 面 童子 是閑吉満作

    江戸時代前期(17世紀)

    能「大江山」「枕慈童」などでもちいられる面で、愛らしい少年の表情を表す。この他、当館には山内家伝来の能面147面、狂言面2面が伝わる。

  • 古今和歌集巻第廿(高野切本)

    平安時代中期(11世紀) 国宝

    その一部が高野山に伝来したことから「高野切」と呼ばれる、古今和歌集現存最古の写本の第20巻。仮名の書の完成形を示す書跡として名高い。11世紀中頃の寄合書と推定され、山内家伝来の巻第廿は「第一種」と呼ばれる書風を示す。抑制のきいた端正な書きぶりは、高野切の筆者3名の中で、もっとも格の高い人物の手になるものとされる。

    国宝 高野切のご紹介

  • 若松葵紋蒔絵雛道具

    江戸時代後期(19世紀)

    山内家伝来の雛道具はおよそ50点。大半に徳川家の家紋・葵紋が表されている。写真はその一部で、左上から、見台、隅赤手箱、軸箱、水引箱、文箱、短冊箱、手箱。

寄贈・寄託

  • 迫田家資料(寄贈)

    旧薩摩藩士迫田七郎が収集、同家に伝来した資料群。七郎の兄、鉄五郎は戊辰戦争に官軍として出征、西南戦争では政府陸軍少佐として西郷軍と対峙し、可愛岳で戦死した。この間に鉄五郎が七郎に書き送った書簡集「長兄信書」をはじめ、幕末志士の書簡を集めた「名士書翰真蹟」が注目される。

  • 長澤家資料(寄贈)

    土佐藩の重役で幕末の藩政改革を主導した吉田東洋の子孫に伝わった資料群。吉田東洋を中浜万次郎(ジョン万次郎)が撮影した肖像写真の他、東洋の息子で明治政府で外交官となった元春のペルシャ旅行記原稿などが伝わる。

  • 山内容堂雅印コレクション(寄贈)

    15代土佐藩主山内豊信(容堂)旧蔵の雅印124点。大半に金襴の仕覆や箱が付属しており、容堂による書き入れがある。刻者は安部井櫟堂、呉北渚、中村水竹、羽倉可亭、浜村蔵六(四世)、細川林谷、細川林斎、三雲仙嘯、壬生水石、山本竹雲、山本拝石、頼立斎ら幕末明治の印人が多い。

  • 福島久幸金泥書資料(寄贈)

    高知県須崎市出身の歯科医・書家の福島久幸氏が復元した奈良時代の書法「金泥書」で書かれた作品509点と、復元のための実験データ・電子顕微鏡写真、著作など101点。

  • 松﨑郷輔城郭浮世絵コレクション(寄贈)

    公益財団法人日本城郭協会元理事長で高知市在住の松﨑郷輔氏の収集品。城郭が描かれた江戸後期から明治にかけての浮世絵、新版画を中心に、武者絵、兵法書を含む70件。

  • 掛川神社奉納太刀(寄託)

    【太刀銘国時】
    鎌倉時代末期(14世紀) 重要文化財
    2代土佐藩主山内忠義が、薊野(現高知市薊野)に牛頭天王(現掛川神社)を勧請した際に奉納。【太刀銘康光】
    室町時代初期(14-15世紀) 重要文化財
    10代土佐藩主山内豊策が牛頭天王に奉納。

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